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「卑弥呼の神はアラハバキ」仮説

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 日本古代史最大の謎の一つ邪馬台国と大和朝廷の関係、それは継承だったのか、それとも駆逐・征服だったのか? 邪馬台国畿内説が前者を物語り、九州説が後者、という単純な問題ではない。(これも「遂に決着」って相互に言い合ってるネ!) いずれにしても、邪馬台が原点として純粋に本朝に継承されたとは、とても言い難い。そもそも「邪」や、「卑弥呼」の「卑」の字などは非常にネガティブなイメージであり、それは当時の中国人の揶揄混じりの表現であるが、大和朝廷への表現とは明らかに一線を画している。そして、『魏志倭人伝』に記されているところの倭人の特徴、特に顔面への刺青などは、大和民族のものとは言えない。この「黥面文身」は、縄文発祥であることが土偶などから類推できるが、その継承が認められるのはアイヌ民族の文化である。 ( 心情的には、和人アウトローも!) 滅ぼされた邪馬台国の人々は、徐々に東に追われ、蝦夷(エミシ)として扱われ抑圧され続け、その主流派は、ついに本州本土を後にして、北の蝦夷(エゾ)へと渡ってアイヌになったという説も、満更トンデモではない。少し、順序立てて説明しよう。そもそも、アフリカルーツで極東までやって来た猿人が、長い長い縄文時代を通じて、 文化人類へと進化したところ (私は、それこそ「霊長」化であると言っているが) から考えなくてはならない。最重要なのは、遮光器土偶であり、アレこそが高次元生命体の存在を証明している。コレはつまり、エーリッヒ・フォン・デニケンの「古代宇宙飛行士説」と呼ばれるものであり、少々トンデモ扱いなのは否めないが、兎に角、縄文時代後期、遮光器土偶の出土された東北地方を中心に、人類は進化したと私は確信している。 文化的な人間に「霊長」化した者らは、西へも下っていっただろう。そして弥生時代後期、群雄割拠する西国の地に「台頭」し、これを統べたのが、そんな流れの一派、卑弥呼率いる邪馬台国であったのだ。しかし、中国大陸か九州からか、新たにやって来た大和朝廷の勢力によって駆逐され、東国に追われ(或いは出戻り)、西国の支配基盤は移行したのである。神武天皇らの各種東征伝説は、まさに旧勢力への執拗な追い討ちではなかろうか。 さて、興味深い話が、縄文を起源としエミシの神であったと云われるアラハバキ神の系統の神社が、大和周辺の畿内だけでなく、九州にも殆んどないという事実である...