道の奥の陰陽

縄文の隠の系譜
東北は霊的に高度な縄文文明の都が花開き数千年続いた。次第に稲作定住を選択し出雲経由(?)開墾民と交わりつつ弥生化するも、蝦夷と呼ばれ「まつろわぬ民」とされた。時代が下り幾度の戦を経て遂に大和朝廷にまつろい、縄文の陽の系譜(保守派)は、渡嶋/アイヌモシリに移住/帰還していく。古来からの聖地には社が建てられ、神々は鎮魂・更新され、一方で、円仁らの尽力によって多くの寺も建立された。後世、武家社会の到来で各地に城が築かれ、新たな主従制度に人々はまつろわざるを得なかったが、禅や浄土思想がカウンターとして働き、俗にまつろわぬ価値感も育まれる。

杜の妖つ子
温和にして従順な表層の奥には、今尚、まつろわぬ民の誇りが、仙在している。杜とは、鎮守の杜であり、謂わば土着神の墓場を意味するが、その呪われし土地を都に見立て、千代は仙台「杜の都」と云うは、伊達か粋狂か、神にも鬼にも通じる、覇権闘争への皮肉なエスプリを感じさせる。時に、中央体制の機械仕掛けに荒波を立てる(!)所以か。「本宮」の隠喩と解せば、即ち、過ぎ去りし元宮にして、未だ来たらざる元宮、そして、本まノ宮は住めば都か竜ノ宮城、熊野神社も三山だ。。。

中道の奥義
大和や東京という体制とアイヌに挟まれた「東北」は、インドとチベットの中間にあるネパールの構造にも似る。釈迦牟尼生誕の地であるかの国は、現在、ヒンドゥー教徒の支配下にあるが、モンゴロイド系先住民の村落を中心に仏教も今に伝わり、更にチベット密教も追い風として吹いている。

星々の宴
水澤龍樹は『まつろわぬ民』を"鬼や妖怪、山人や山伏、諸国を巡る芸人や巫女・遊女・傀儡子・渡世人・忍者など、天皇を頂点とする「表の世界」の外に位置していた陰の側の住民(アウトサイダー)"と云う。「道の奥の院 サテライト」は、この『遊民の系譜』也。
科学文明にまつろい、送電鉄塔や電波塔が山を飾りし現代においては、本末点灯ピッカピカ、七転勃起のスペクタクルが繰り広げられるのだ!