わが仏道 〜女神から宿された黒き子を空と帰し

東京池袋に程近い鬼子母神堂(「鬼」の字は角の点無し)は有名な名刹だが、「鬼子母神」の話は恐しい。百、千、万ともいわれる自らの子を養うために、他人の子を攫っては喰らい栄養をつけていた鬼女が、お釈迦様に諭され改心し、仏法を守護する女神様になったという。(よく乳が出るようにと玉子を毎朝喰って滋養を付けていたヤンママが、菜食系美男子に言いくるめられてベジになったようなものかもしれないが。。。子に有名な吉祥天がいる。チベットの仏教美術では、吉祥天母は憤怒の鬼の形相であるが、これはきっと鬼子母神のことだろう。サンスクリット語では Hariti と言い、音写して「訶梨帝母」とも書く。ヒンドゥー教の女神カーリーと関連付けられることもあるようだが、この音写訳からの混同かもしれない。しかし、両女神の性質も、確かに似ている。


カーリー(黒き者)は殺戮の女神である。実際にインドの殺人結社が祀っていたりもする。が、同時に、近現代のヨーガの聖者らにも愛されており、複雑な精神性を含有する女神信仰である。仏教寺院ではほとんど見かけないが、釈迦成道の地ブッダガヤのお寺で、大黒天(マハー・カーラー)と一緒に、お釈迦様の説法を聴くような格好で並べられ、祀られていた。大黒様、カーリー様の横に並んで、釈迦像を拝したものである。


お釈迦様は、成仏(成道)後はしばらく、その悟られた真理を一人胸にし沈黙していたのだが、梵天に促されて、人々に説法することにしたという。ブッダガヤから程近いサルナートで、初めて教えが説かれた。これを初転法輪という。四つの何たらとか八つの何たらといった教えが説かれたが、まず初めに説いた法は「中道」だ。快楽的な方向と苦行的な方向という両極端な道ではなく、中道を歩むのが、成仏するための道だということである。小乗(上座部)仏教が伝えられた南方の地域、即ち東南アジアのお坊様や行者は、比較的この釈迦説に従うような小欲の姿勢が見受けられる。インドの苦行者のような痛いこともしないし、歌舞や酒色からも距離を置いているようだ。


しかし、大乗仏教が伝えられた北方の地域、特に日本の仏教徒は、むしろ釈迦人生に追従する大欲の姿勢で、悟りや涅槃を目指すものであるのかもしれない。釈迦の人生とは、快楽三昧の王子時代と、毎日麻の実を数粒でしのいだ苦行三昧の修行者時代という両極端な道を経て、それ故にこそ大悟され仏陀と成り、そして静かで穏やかな道へ入られた、と考えられる。大乗の行は、大きな袈裟の如しだが、「精進落とし」といって、厳しい修行がひと段落したら、酒色を愉しみ、バランスを取るものである。神道的には穢れとして忌み嫌われる「死」は、苦の極致であるが、葬儀やお墓など死にまつわる領域を司る日本の僧侶は、肉食妻帯でバランスを取っている。わが道も、お釈迦様の人生のように、或いは大乗仏教のように、両極端な方向を経て、大欲によって、最終的に中道に入らんとするものだ。


思えば、わが半生は苦しみに満ちていた。幼少期より寒い寒い東北の僻地を転々とし、特に山形内陸部では、エミシ払いのような憂き目にも遭った。高校も中退、逮捕もされ鑑別所送りされた。その後持ち前の愛嬌で、大検を取り大学進学するも、程なくして親類縁者友人らが金神七殺のごとき目にあい、私は、悪業断ちの、苦行的な、長い長い巡礼の旅に出ることとなった。冬富士やヒマラヤの大雪山、吹雪のアララト山など、様々な険しい聖地聖山を歩いてきた。歩いてばかりではない。自爆テロ真っ只中のパキスタンでは、仏石巡拝の帰り道にビン・ラディン一味に攫われそうになり、走って逃げてきたものである。キルギスでは銃を突きつける警官から逃げきれずに拉致され、5000円カツアゲされたこともある。このような苦い涙の半生は、東日本大震災を機にピークを迎え、私は、苦行者から快楽者へとシフトしている。釈迦族の王子や皇太子とは言わぬが、これからも、星の王子ほどの境遇を受け、気の済むまで快楽三昧を堪能したいので、関係諸氏は、ご理解ご協力のほど宜しくお願いします。



一切皆苦 から 一切快楽 





画像はダキニ天についてのサイトから釈用しました。

(「神様のひとりごと」

https://kamihitori.xyz/dakini-in-reality20170730/ )


しかし、この写真はダキニではなく、ドゥルガーではないかしら?

カーリーを生じたる女神であり、仏教では観音様になります🙏