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(回春小説)「男たちの星座2」感動巨編より

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明治新政府によって仙台に置かれた奥羽鎮撫総督府(以下「鎮撫」と略)に満足できなかった東北諸藩は「奥羽越列藩同盟」を立ち上げたが、その旗印は可愛らしい五芒星であった。現在、世界中の多くの国旗に星印がみられるが、殆どは、内側に五角形の線分のない星である。所謂「五芒星(Pentagram)」を掲げるのは、エチオピアとモロッコぐらいだろうか。 エチオピアといえばコーヒー発祥の地で、現地の行者が眠気覚ましに愛飲したのが始まりという話を、某輸入食材チェーン店の商品紹介で知って感心した。帝政から社会主義革命を経て、民主主義国家となった現エチオピアの国旗には、星が採用されているが、スターバックスのロゴとはあまり関係ないと思う。かつての帝政時代も背景色は今と同じで、中心の意匠が星ではなく獅子であった。この獅子の頭上に「六芒星(Hexagram )」を冠せたのが、「ラスタファリ」のシンボルで、レゲエのレコジャケなんかでよく見かける。1930年代にジャマイカで興ったラスタファリは、旧約聖書の「約束の地」をエチオピアに見立てたアフリカ回帰運動なのだ。皇帝ハイレ・セラシエ1世 Haile Selassie I が、聖書の神である JAH の現人神として崇拝されたのである。 Emperor Tomato Ketchup  (道の奥の皇帝⁉︎) エチオピアのラストエンペラー、ハイレ・セラシエは、ラスタによって現人神とされたことから、同じく現人神を標榜した戦前の大日本帝国を範にして憲法を制定したという。大日本帝国の産物は、現在の日本社会にも綿々と存続しているのだが、時代の体温を直に知る世代は減少し、既に文学的色彩を帯びている。荒俣宏の『帝都物語』はその一つ。映画版では主人公の陸軍将校である魔人加藤の手袋の五芒星が印象的である。これは、平安時代に活躍した陰陽師、安倍晴明の桔梗紋だろう。 安倍晴明は、卑弥呼や役行者に続く日本史屈指の呪術師の一人であり、現在でもいくつかの社寺において祀られている。官僚くさいのがあまり好みではないのだが、奈良の安倍文殊院には何度か参詣した。お抹茶と和菓子が出てきて、陰陽転じて思わず和んでしまう。この辺から飛鳥にかけての地域が日本仏教の発祥地であり、また古代大和の中心地として、様々な歌にも詠まれている。吉...

(天動説への回帰小説)「男たちの星座」予告編

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◉子供の頃に涙を流しながら読んだ『はだしのゲン』(中沢啓治)を引き合いにして、特に支配者階級の日本人に潜む「悪魔」性と、不良やヤクザに顕れ、蝦夷に帰せられる「鬼」性の違いについて、ノーパンジャブジャブ。(ヒロシマとフクシマの同異譚にも絡めて) ◉わがルーツとして近しい星印は、北朝鮮( 1948- )の赤星に非ず、奥羽越列藩同盟( 1868- )の白星なり!  幕府側 と明治新政府側の東北ハイブリッドという因果な星。(エミシ/和人の壁を超えるサンカや香具師への憧憬。現代のヒッピーへの流れ。) ◉日本プロレス界の父である力道山も、極真館空手総裁である大山倍達も、朝鮮半島出身だったという現代日本の因果鉄道。グレイシー柔術創始者にして 20 年間の不敗神話を誇ったエリオ・グレイシーに黒星をつけた天才柔道家、木村政彦。その木村にブチキレの空手チョップをかましてノックアウト勝ちした力道山。そんな男臭過ぎの時代を描いたノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊也)が、『 KIMURA 』(原田久仁信)として漫画化されている。長年、テレビアイドルとしてトップスターの座にいたキムタクとも関係するのだろうか、本作は「男の星座たちに捧げ」られている。(個人的に、武士の美学という観点から、暴れん坊の力道山に喧嘩勝ちした仁俠、村田勝志さんに金ボシ。) ◉『男の星座』は、梶原一騎原作による自伝的作品。小生は、先生の名作群は殆んど通っていない。『柔道一直線』ではなく『柔道部物語』。『空手バカ一代』に代わって『修羅の門』や『グラップラー刃牙』という世代だ。ボクシングものは『はじめの一歩』、野球ものは『タッチ』だった。『あしたのジョー』でも『巨人の星』でもなかったのだ。(小生の見た目は晩年の梶原先生と少し似ている。) ◉リアル版「巨人のスター」も、長嶋茂雄や王貞治ではなく、桑田真澄や清原和博だ。現役の頃は桑田派。その顔立ちに萌えたものである。反対に清原は、ハンサム番長みたいなのが苦手で、舐められることでもあったら、オレも村田さんのような男になったるでと思ったものだ。しかし、最近ファンになりました。実家がお大師様の真言宗で、お遍路もしてらっしゃるというのがいい。そういえば昔、高野山で清...

ダイシと豆の鬼、南無阿弥陀籤

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大師といっぱ一般に弘法大師空海のことで、その真言の伝法は、弥勒八幡山(東寺)や高野山から全国に布教された。首都圏では、成田山や高尾山が真言宗寺院として有名である。また、お大師様を御本尊とするような大師信仰もあり、それこそが四国遍路の基本であるが、東国にも川崎大師がある。因みに隣には若宮八幡宮があり、境内社には道祖神・金精神の類の金魔羅様が祀ってあり、川崎の街の色気とも因縁があると思われる。 さて関東では、大師というと比叡山延暦寺の中興の祖、元三大師良源の方であることも多い。関東厄除け大師は、弘法大師を祀る三大と元三大師を祀る三大が各々あって紛らわしい。都内では、浅草寺と並ぶ古刹である深大寺も、厄除元三大師として有名。昔、つげ義春の「無能の人」のように多摩川近くに住んでいた頃、よく蕎麦を食べに詣で、有名なダルマ市を覘いて、水木しげるの妖怪茶屋で一服したものである。 深大寺の名は深沙大将という鬼神が由来で、唐の玄奘三蔵法師が天竺への旅中に砂漠で遭遇し守護されたという話がある。「西遊記」の河童もどきの妖怪、沙悟浄のモデルであり、更にその起源を辿れば、天竺祇園精舎の鬼神、アングリ魔羅との説もある。十年程前に私は寄贈されたオートバイで、かの砂漠であるとされる現アクサイチン地区を一週間ほど疾走しチベット入りした。滞在許可も運転免許も無かったが、巡礼の深く大いなる霊力の前には、天下の法は無力にして、あらゆる難関門を通過したのであった。 元三大師と角大師『天明改正 元三大師御鬮繪抄』 話を元三大師に戻そう。良源が自ら鬼となり疫病を払った姿が角大師で、その護符が玄関に貼られている家は多い。 33 体の豆粒のような大師像の姿絵は、豆大師という。また元三大師は、御神籤(おみくじ)の創始者ともいわれる。阿弥陀籤もこの派生であろう。タケちゃんマンに唯一勝利したアミダばばあ(テレビ番組「オレたちひょうきん族」)が懐かしい。明石家さんまの名の由来は知らぬが、アカーシャ三昧(虚空蔵菩薩の境地)と解すこともでき、戯け話は尽きないのである。 南無大師常住金剛を崇敬するようになってから、すこぶるクジ運が付いた。ビックリマンチョコの景品シールで、お目当てのシールばっかり当たるのだ。小学四年生の頃、最初期のビックリマンブームが来て、人並みにチビチビ買い集...